Junji 自然to暮らしのデザイナー@GlocalGreenLifeLab

地球と自分を大切にする暮らしの実験室

屋久杉と経済成長

屋久杉は昔から自然が保護されてきたわけではない

 

ここ最近は川の仕組み(?)について、お話しさせていただきました!

 

川にとって木々や土壌や菌たちは、人間の体の内臓と同じで、どれもなくてはならないもの。

木々や土壌や菌たちに悪い影響が及ぶと、全てに悪い影響が出て、川も汚れてしまう、みたいな内容をお話ししました!

 

気になるでしょ!?笑

 

こちらの記事をご覧ください!

 

junji-greenlab.hatenablog.com

 

junji-greenlab.hatenablog.com

 

 

川の話しをしていたら、他の自然のことについても知りたくなりました。

 

そして木のことについて調べていくと、屋久島の森の歴史が、興味深い。

なのでお話しさせてください!

 

自然が溢れているように見える屋久島ですが、経済活動の影響で森林破壊がされてきた歴史があります。

 

今回は、屋久島の森林破壊から保護されるまでに至った歴史についての内容です。

 

[目次]

1. 屋久杉とは

2. 商い屋久杉のはじまり

3. 本格的な伐採のはじまり

4. 伐採の新時代

5. 屋久杉伐採のピークを終えて

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1. 屋久杉とは

まず、屋久杉ついて少し説明させてください。

 

屋久杉とは、屋久島の標高500Mを超える山地に自生しているスギです。

それを屋久杉と呼んでいます。

 

一般のスギは500年が平均的な寿命みたいですが、屋久杉は2000年を超えるものあります。

 

ちなみに「屋久杉」と呼ばれるのは樹齢1000年を超えるスギを指すようです。

 

1000年より若い杉を「小杉」と呼ぶようです。

#若くねぇよ

 

なぜ、屋久杉がこんなに長く生きていられるか謎ですよね。

 

ちょっと調べたんだぜ

#だぜ

 

屋久杉が生育する環境は、花崗岩(かこうがん)を地盤に成長しています。この花崗岩は栄養に乏しようです。

そして、屋久島は雨が多く、水に恵まれているため、ゆっくりゆっくりと成長していきます。そうして屋久杉の樹齢は長くなり、巨大に育つってわけなんだぜ!

#なんだぜ

 

このような環境で育てられた屋久杉は、年輪の間隔が狭く、材質が緻密で強度が高くなります。さらに、樹脂が多く丈夫で腐りにくいのです。

 

この屋久杉の優れた特徴が、屋久杉伐採の歴史につながります。

 

 

2. 商い屋久杉のはじまり

安土桃山時代以前は、屋久杉は、信仰の対象でありました。

そのため屋久杉は伐採されることはありませんでした。

 

しかし、江戸時代になると、屋久島は島津藩支配下となります。

 

樹脂分が多いため腐りにくい屋久杉は、良質な「平木(屋根板)」として人気があり、年貢として、当時は納められていたそうです。

 

屋久杉は高値で取引され、幕末まで薩摩藩の財政を支えてきました。

 

 

この屋久杉は、関西地方などで高値で取引されていました。

 

この屋久杉の商売目的に、島には多くの人が船で訪れました。

そして、それは日本にとどまらず、当時海外にも屋久杉が知られていたようです。

 

この人気っぷりに島津藩は、1595年に屋久島の木材の持ち出しを厳しく取り締まる「屋久島置目」を定めました。

 

もとは「神が宿る」と信じられていた屋久杉。人里近くの杉が切られたあとに、山奥の杉の伐採をためらったようです。





 

3. 本格的な伐採のはじまり

江戸時代、屋久島の支配をしていた島津藩。江戸初期には、屋久杉を年貢に定めて支配体制を確立していました。

 

ここで出てきたのが、安房生まれの儒学者(じゅがくしゃ)のジョチク。漢字で書くと「泊如竹」。変換で出てこないのジョチクと書かせてください。

#すみません

 

 

ある説では、このジョチクが藩に、屋久杉を伐採する作戦を申し述べて、

島民たちには「神から許しがでた」と説得したとのことです。

 

これが1640年の話です。

 

ここから本格的に屋久杉の伐採が始り、屋久杉が売れたことで、貧しかった島民たちは救われました。

 

本格的伐採の立役者となったジョチクは、島の貧困から救ったとして「屋久聖人」として名が残り、ジョチクの墓所は県指定文化財に指定されています。

 

高級品として扱われた屋久杉は、関西の寺社だけでなく、島津家の庭園といわれる「仙巌園」にも使われています

 

  

 

伐採がすすめられた屋久杉ですが、当時の島民は、屋久杉の伐採よりもトビウオ漁やカツオ漁に力を入れていました。

 

薩摩藩は島民に、伐採をすすめる通達をしました。それが1843年です。

 

ここから幕末までに5~7割の屋久杉が伐採され、明治以降はさらに大量伐採の時代に入っていきます。

4. 伐採の新時代

明治時代、1879年に地租改正が行われ、土地の国有化に動きがありました。

 

その結果、島の森林の8割が国有化されました。

これに対して、島民は下げ戻しを訴えましたが、1920年に敗訴されます。

 

屋久憲法と呼ばれる「国有化経営の大綱」が定められ、国による屋久杉事業が本格化しました。

 

1920年ごろは、島東部を流れている安房川に沿って開通した、安房森林鉄道が開通して、山から港まで木材が運びやすくなりました。

 

安房森林鉄道の沿線では事業所が建てられ、木材の作業員やその家族が集落ができたほど、屋久杉事業は盛んになってきました。

 

第二次対戦後、復興から立ち上げるために、屋久杉はまだまだ大量に伐採されていきます。

 

この頃からチェンソーが導入され、屋久杉だけでなく広葉樹の伐採も進みました。

 

この時代は、経済成長のために多くの森林資源が強く求められた時代のようです。

 

 

5. 屋久杉伐採のピークを終えて

1960年代に、長く続いた屋久杉伐採はピークを迎え、1970年代に入ると屋久杉を保護する動きが出てきました。

 

国が経済発展をとげ、木材を輸入するようになりました。

 

相まって、木材自給が大幅に縮小されました。

 

 

1980年代になると森林生態保護地域が設定されて、伐採しない地域と、生態系を保全しながら屋久杉を利用する地域とができました。

 

その後はご存じのとおり、1993年に世界自然遺産に登録され、ますます保護の方が大切だと思われてきました。

 

2019年には、ついに屋久杉は市場に出回らなくなりました。

 

 

これが屋久杉の伐採から保護までの歴史です。

 

勉強になったーー!

 

 

 

もののけ姫のモデルともなっていた、屋久島は昔から自然が守られている、というわけではありません。

実は、経済成長のために伐採されてきた歴史があります。

 

 

今度、屋久島に行かれる予定がある方、ぜひ参考にされてください。

 

ついで、屋久杉の伐採によって、その他の自然の環境はどのように変わったのか、調べていただきたいです!!

 

次回も、木の事について記事にしようかなーー。

 

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます!

 

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