Junji 自然to暮らしのデザイナー@GlocalGreenLifeLab

地球と自分を大切にする暮らしの実験室

「遠慮」と「気遣い」。理解されにくい心の声

こんにちは。
じゅんじです。

更新が途切れ途切れになってしまっています。

実は昨日に記事を書いていたのですが
なかなか進まなくてそのまま時が過ぎてしまいました。

その記事の内容が
「遠慮と気遣い」について。

おそらく僕と同世代や僕よりも下の世代の方、
またはHSP気質の方には、
特にこのへんの問題について
悩まれているのかなーと思っています。

僕にはまだこの解決策なんてなくて
どのようにしたらいいか悩んでいる、
ということをここで共有できたらと思います。

今回の記事はこちらのマガジンから記事を投稿しています!

note.com

 

「遠慮」と「気遣い」

「遠慮」と「気遣い」は似たようなもので、
実はそれぞれが違うものだと感じています。

この両者についてAIに違いを聞いてみました。

遠慮(えんりょ)他者に迷惑をかけないように、自分の行動や発言を控えめにすることです。自分を抑えたり何かを断ったりする場合に使われます。たとえば、何かを勧められたときに「遠慮します」と言う場合、自分の希望を控えて相手に配慮していることを示します。控えめで、相手を尊重する姿勢が強調されます。

気遣い(きづかい)他者の状況や気持ちに心を配り、相手が快適であるように行動することです。これは相手の感情や状況に対して敏感になり、積極的に配慮を示す行動です。たとえば、相手が疲れていると感じた場合に休ませるようにする行動や、言葉選びを慎重にすることが「気遣い」となります。

 

この両者についてはどちらも
「相手の状況」が起因した行動です。


明確な違いといえば
「遠慮行動を抑える」
「気遣い=行動をする」
なのかなーと。

「行動を抑える」という「行動」もあると思いますが
その辺は一旦無視して、
「行動を抑える・行動をする」
という2点でこの記事を進めていきます。

今回の記事特に注目したいことが
「遠慮=行動を抑える」
ということ。

「NO」というアウトプット

遠慮は他者を気遣った上で
自分で選択した行動なのですが
行動としてのアウトプットは「NO」になってしまう。

すごく悩んで他者を想った行動にしても
アウトプットとしては「遠慮=NO」の行動になってしうまうんですよね。

それがとても難しくて。

十分に配慮した上でも「NO」になり
遠慮が続いてしまうと
他者への印象としては
「避けている」というように捉えられてしまうんですよね。

「避けている」という印象を与えてしまうと
そこから自分がなぜ「遠慮しているのか」を
説明することでさえも難しいんです。

しかし、遠慮しがちな人は
なぜ遠慮しているかを説明したり、
遠慮しない人間関係の構築までに
精神力と体力がいるんですよね。

遠慮する方のハードル

そこで遠慮する・しがちな人のハードルを挙げてみます。

「説明の難しさ」
 "自分がなぜ遠慮しているのか"
これを他者に理解してもらうのはとてもエネルギーが必要。

また、言葉にすることで
"さらに相手に負担をかけたくない"
という気持ちもあったりします。
結果として説明を省略してしまう傾向にあります。

「誤解のリスク」
遠慮が続くことで、
相手に「避けられている」と
感じさせてしまうリスクが大きいです。

相手にとっては「なぜ断るのか分からない」、
つまり理由の不透明さが
「拒絶」…という印象を強めてしまいます。

「人間関係のハードル」
遠慮しない状態に到達するまでに、
信頼関係や安心感が必要なんです。

その信頼を築くためには、
こちらからのアプローチが必要になるのですが
精神的・肉体的なエネルギーが必要になります。

特に遠慮がちな人には能動的なアプローチが大きな負担となります。

以上の3つが「遠慮」してしまう方が
抱えているハードルだと感じています。

対話について考える

遠慮することはマイナスなイメージを強めてしまいますが
ここでお伝えしたいことが
「遠慮をしないで」ということではありません。
(「遠慮しないで」も言いたいけどね。自戒をこめて。)

「遠慮する人の心の声にも耳を傾けて!」
という僕からの提案になります。

声に出さないから想っていることがわかりづらい…
ということもありますが
「遠慮」は"他者への配慮が前提"にあることを
理解していただくことも大切なことなのかなーと。

自分が迷惑をかけないことに
神経を尖らせて暮らされている方がいらっしゃいます。

それはその人の性質です。

ここの溝を埋めることは難しいことだと思いますが、
そもそも"対話"というものは難しいものなんです。

どんだけ親密な関係になっても
喧嘩は起きてしまいます。

僕たちが生きていく上では
"対話は難しい"という前提で
関係性を構築していく…
人間関係の上で表層的な他者の面をみるのではなく、
対話・関係構築は難しいという共通の前提があるからこそ
深く相手と会話することができるのかなー、
と思っています。

皆さんは「『遠慮」』と『気遣い』」について
どう感じられますか?

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