Junji 自然to暮らしのデザイナー@GlocalGreenLifeLab

地球と自分を大切にする暮らしの実験室

【憧れるもの】自分だけの知識と経験で”才”を磨く人

こんにちは。

じゅんじです。

 

"自然とつながるサステナブルな暮らし"

をテーマに記事を書いています。

 

これまで実業家に憧れを持つ社会人・大学生と

”農”に関する話しを何度かしてきました。

 

一部の方ですが、

”農”が憧れの対象ではないのはわかりますが、

"農"に対する見方に違和感を感じるときがあります。

 

今回はその違和感の話しから、

僕が憧れを持つ”百一姓”についての内容です。

 

”農”だけの話題でなく、

"生きづらさ"や”生きやすさ”に繋がる内容です。

 

読んでいただくと嬉しいです。

 

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”自然とつながるサステナブルな暮らし”の過去記事は、

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junji-greenlab.hatenablog.com

 

ヒエラルキーに置かれる違和感

僕が時折感じている違和感があります。

 

一部の実業家に憧れる社会人や大学生の"農"に対する見方です。

 

そんな社会人や大学生と、

農業や農的な暮らしについての話をすると

社会的なヒエラルキーが構成された前提で、会話が進むことがあります。

 

そんな社会人・大学生の中にある、

”農業”や”農的な暮らし”の社会的ヒエラルキーは

自分より下の層の枠組みにあるように伺えてくるのに違和感を感じています。

 

それはあまり心地の良いものではないため、

どうにかしたい課題です。

 

これまで色んな方とお話ししたり、

メディアなどで特に感じる違和感があります。

 

「"農"に携わる人を、「土地から出てこない人」とみる違和感」

 

この違和感のおかしさから、今回の記事でお伝えしたいことがあります。

 

「土地から出てこない人」と見られる違和感

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