こんにちは。
じゅんじです。
"自然とつながるサステナブルな暮らし"
"自分を大切にするセルフケア"
をテーマに記事を書いております。
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僕の記事のテーマでもある"セルフケア"。
実はセルフケアに関してモヤモヤモヤすること
頻繁にあって。
特権的なセルフケアに違和感
というと、
美しいとされているセルフケアの方法が
特権的であることで、
一般の方がするには少しハードルが
高くなっていると感じます。
特権的とは
セルフケアがお金がかかるものとされたり
健康的ないわゆる肉体美な身体ではないと、
セルフケアが似合わないとされたり。
セルフケア自体がケアではなくて
セルフケアが特権的なケアになっていると感じます
例えば、セルフケアの食事として
例に出るくるものは
スムージーとかその他フルーツの〇〇みたいなもの。
しかしスムージは頻繁に飲めような価格ではなくて
また、スムージ=健康的な肉体を持つ人
のようなイメージが一般化されつつあると感じています。
ヨガもそうですよね。
ヨガのために教室に通うとなると
そこそこの値段がして、
それに健康的ないわゆる肉体美が
ヨガをする人とイコールされている
イメージがあります。
決してスムージーとヨガが
セルフケアとして良くない、と
言っているわけでなくて。
僕もスムージは時々飲みますし、
ヨガも時々行います。
本来なら誰でもスムージーを飲んだり
ヨガをしていいはずが、
見た目のイメージやお金によって
特権的な人が行うセルフケアのイメージとして
定着しつつあること、
すでに定着していることに
「セルフケア」の意味について問いたくなります。
お金がなくても健康的でいわゆる肉体美じゃなくても
スムージーも飲めるし、ヨガもできますが、
セルフケアのイメージとして
「セルフケア=特権的」
になっていることで
セルフケアから避けていることもあって。
でもセルフケアってすごく大切なことです。
自分の体力や時間や精神的なものが
支配されてしまう現代の社会システムによって
自分を大切にする時間を失ってしまう時があります。
または「自分なんてケアをするべきじゃない」って
思われている方もいて。
特権的でなく誰でも自分をケアする機会を持って
自分が世界に存在していることをわかってほしいな。
休んだりすると、
「そんなことしないで国の力になれ!」
なんて聞こえてきます。
あんなの無視してください。
国の力になるために生きるよりも
自分の好きに向き合って、
近くの大切な人と助け合えた方が
よっぽど自分の力が誰かの力になれるって思っています。
そもそも「国の力になれ!」
を言えることが特権的であると感じるし。