Junji 自然to暮らしのデザイナー@GlocalGreenLifeLab

地球と自分を大切にする暮らしの実験室

食べられる森

こんにちは。

じゅんじです。

"自然とつながるサステナブルな暮らし"

"自分を大切にするセルフケア"

をテーマに記事を書いております。

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過去の記事から、おすすめする記事

junji-greenlab.hatenablog.com

 

風邪と数年ぶりのカラオケのせいで
喉がやられました。

ハスキーの自分の声に惚れそうなので
ずっとこの声がいいなーと思っています。

さて新年度を迎えました。

新生活を迎える皆さんおめでとうございます!

僕も新生活でこれから福岡県から静岡県に引っ越します。

移動はバスと電車。
4月2日の17時ごろには
次に住む家に着く予定です

次に住む家は3人暮らしのシェアハウス。

自然の仕組みを活かした暮らしのデザインを設計し
エネルギーや食の自給などに取り組んでいきます。

その家には行ったことがないので
どんな家なのかどんな場所なのかさっぱりです。

自分の収入もなかなかの不安定で
よくそんなところ行けるなーと
自分に関心しています。
(ちょっとのことでも自分を褒めなきゃ!)

そんなこんなで僕が静岡県で始めることを
ひとつ紹介させていただきます。

食べられる森づくり

これから僕が関わらせていただくことは
「食べれる森づくり」です。

「フードフォレスト」と言ったりします。

言葉の通りに「食べられる森」をつくります。

食べられる

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「食べる」ことは
人の生活において欠かせないものです。

森に行けば
その季節の食べられる果実や木の実など
自然がシェアしてくれる多種多様なものが
食べられます。

「食べる」ことは人だけではありません。

鳥や哺乳類や虫や微生物たちなども
食べることは欠かせません。

「食べられる森」は
人も他の生き物も一つのコミュニティとして捉え
そのコミュニティが食べていけることが
大切なことです。

僕たちはインプットとアウトプットの
循環で成り立っています。

食べるというインプット。
排泄するというアウトプット。

一つものだけでは循環することできません。

いずれ古くなり循環すればするほど
脆くなってしまいます。

しかしインプットとアウトプットで
常に形を変えながら
循環することで
アップデートされて
僕たちは生きてきました。

「食べる」行為は個人としても必要な行為で
豊な自然を作ることにも大切な行為なんです。

森づくり

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森には背が高い木や、その下にある木、
そしてその下にある木、
その下には草が生えています。

木を見るとキノコが生えていたり、
水辺を見ると多様な植物たちがいます。

もう一度、背が高い木を見ると
蔓が巻き付いています。

これらの木や植物にはすべて役割があります。

一つでも欠けてしまうと、
木々たちは守ろうとしますが
連鎖的に悪化してしまうこともあります。

森づくりとは
このような多種多様な植生たちを
整えていく作業だと思っています。

「整える」と言っても
それぞれの植生たちのこれからの成長を考えて
役割を果たすようにサポートするだけの作業です。

自然はすぐに自ら形を変えることはできません。

しかし人は森を立体的に見ることができ
手と足と頭とそして道具を使い
役割をさらによく果たさせるように
すぐに整えることができます。

そうすることで自然が豊になり
多種多様な植生が現れて
そしてたくさんの鳥の声が聞こえてきます。

日本の森はこんな感じ

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「食べられる森」は
自然の多機能性を活かして
食べられるもの作られていくことと
認識しています。

一種だけを大量に生産する果樹園などは
確かに人はたくさん食べられることができます。

しかし一種だけでは
「森」とはなりません。

高い木や低い木や、
水辺や地面やキノコたちや巻き付いた蔓があっての
森なんですよね。

ちなみに僕たちが見ている山は
そのような多種多様な植生に溢れていないかもしれません。

スギや檜など
まっすぐに伸びた針葉樹が溢れている森が
日本には多いんですよね。

それはかつての日本が
経済的な成長のために
山の木々を一掃して
建材などで使われる木材のために
スギや檜を植えました。

だから僕たちが見る山は
こういった人工林が多いんですよね。

僕が去年旅をしていたとき、
道を挟んで右側がスギや檜の人工林、
左側が広葉樹など多種な植生が見える森がありました。

道を歩いていたとき、
左側の広葉樹のある森からは鳥の声が聞こえて
左側の人工林からは「…」
という感じで。

生き物たちにとって
スギや檜などの人工林は
住めれる場所ではないことが
この体験から感じました。

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これまでも何度か
福岡にて森づくりに関わらせていただきました。

生き物を悪者とせず、
誰のものでない森、
所有から共有のコモンの森。

自然は本来は誰のものでもなく
皆で必要な分だけをいただき
そしてシェアすることをやってきたんです。

僕たちは自然を自分の持ち物にしてしまって
生き物たちの命を蔑ろにしてきました。

これからの僕の活動は
今回の記事で紹介した
「食べられる森づくり」に関わらせてもらい
そこで得た知見や哲学的なものを
この記事では伝えていきます。

なので今後ともよろしくお願いします!

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

次回もお楽しみください。

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