Junji 自然to暮らしのデザイナー@GlocalGreenLifeLab

地球と自分を大切にする暮らしの実験室

【旅暮らし】生産と共有の"村社会"と消費と所有の"都市空間"

こんにちは。
じゅんじです。

 

"自然とつながるサステナブルな暮らし"

”自分を大切にするセルフケア”

をテーマに記事を書いています。

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旅をしながら生活を再開して、
そろそろ1ヶ月が経ちます。

ここ1ヶ月は、
食の生産から食卓までの過程を自身で行う、
自給的な生活を送られている方々のご自宅を訪問し
滞在させていただいきました。

山の中の集落や島の集落など、
田舎の暮らしを転々としました。

 

これが村社会

そのような暮らしでは
食だけでなく"まず自分でつくる"が念頭にあります。

自分でつくることが難しければ、
ひとに頼ることができていて、
道具がなければ「持っている人から借りる」ことで
共有されていました。

ものの共有だけでなく情報の共有も行われています。

「あそこの実がなりはじめた」
「動物が作物を食べにきた」
「あそこの家のあの人はしばらく帰ってきてない。どうやら家族が○○らしい」
「あそこの店では顔がきくから割引するよ」

僕が集落にしばらく滞在しているときは、

「あのいつも歩いている若い人は誰?」

そして顔をあわせる機会があったときに

「あー!君があのいつも歩いていたあの若い人か!」
「あんたがあの時間にあそこを歩いてたから、猿を捕まえれんやったよ。写真なんか撮ってから。」

これが村社会なんだなー、と感じました。

村社会は「出た杭打たれる」の、
打つ側として悪い例えに使われるけど
僕が実感した村社会は
確かに「なんでそんなに人のことが気になるの?」
と思っていたけど
悪い気がしなくなった。

もちろんその地域や人によっては
村社会が悪い面に出てることもあると思います。

でも村社会から都市出てきたとき、
村社会の大切さがわかってきました。

 

生産から消費、共有から所有

僕がこの旅で滞在してきた旅先は、
自然に囲まれて
食の生産と自分の暮らしが密接に繋がっている田舎のまち。

そんな場所から
数日前に次の目的地を経由するために
大阪に到着しました。

緑から灰色の景色。
生産する場所から消費する場所へ。
自然がつくる曲線や波型から直線と垂直の人工物に。

田舎での滞在は誰かが助けてくれる安心感がありましたが、
こんなにも人がいるにも関わらず、
誰も助けてくれなさそうな不安があります。

食の生産が近くにあった暮らしでは
余ったら与える、それか自然へ還すことができていたり、
前述したようにモノの共有と情報の共有する社会がありました。

僕が現在いる都市では
共有がなく所有に変わり、
所有できなくなったものは排除。

それはモノだけでなく人もそう。

 

田舎で大きな声で誰かと会話してた高齢の方。

都市では小さな声で一人で口から何か落とすように話している。

 

もし仮に僕が駅前の壁に
小用を足していたとしても、
僕を壁か柱の一部として見られて
人ではないように見られる空間に感じています。

だからといって僕一人がどうかできるような話ではありません。

 

ただやっぱりこのような社会が一般的なのであれば
"生きづらさ"を感じることは当然のように感じます。

生きづらさを抱えた個人の責任じゃなく
社会を形成しているそれぞれに責任がある。

やっぱりこのままの社会にしたくない。

 

好きに楽しく生きて。

 

 

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